ブログが書けなかった理由
水曜日, 9月 14th, 2011ずい分長い間お休みしてしまいました。
あまりに更新していなかったので、
危うくブログの存在を忘れてしまうところでした(笑)。
「何かあったのか…!?」と心配されている方も多いかもしれませんね。
とりあえず状況をお伝えしようと思うのですが、
まずは、この5ヶ月間に起こった出来事を…。
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4月下旬。
母親が40度近い熱を出していると実家から連絡。
結局、4日熱が続いたのち大きな病院に入院。
診断は「肺炎」。入院したことで、とりあえず安心…。
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3日後。
病院から「容体が急変した」との連絡。
ARDS(急性呼吸窮迫症候群)と重度の感染症で危篤状態となる。
…が、夜のうちに容体が安定。
なんとか一命をとりとめたものの、しばらく人工呼吸器管理となる。
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2週間後。
人工呼吸器管理が長期におよぶであろうことから気管切開を行う。
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2日後。
再び病院から「容体が急変」との連絡。
病院に到着すると、すでに「心臓が2回止まった」とのこと。…絶句!!
蘇生して息を吹き返したが「いつまた止まるかわからない。」らしく2回目の危篤状態。
「もう助かる可能性は低い」とのことから、
親戚を呼んで、最後のお別れをしてもらう。
…がしかし、その後心臓が止まることはなく、
再び、奇跡的に一命をとりとめる。
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その後1ヶ月半の間。
人工呼吸器管理のもと、容体が急変することなく
(…かといって状態が改善するわけでもなく)
ただただ意識不明の状態が続く。
6月中旬、主治医から「もう長くはないだろう」と告げられる。
意識はなかったが、側にいてあげたくて病院通い。
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6月下旬。
モニターの数値が徐々に改善。
主治医の予想を裏切り、意識が戻り始める。
…そして、ほどなく人工呼吸器がはずれる。
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7月上旬。
日に日に意識がはっきりして、手足も動き始める。
「ここまで回復した例はめずらしい。奇跡に近い!」と、
病院関係者も驚きの回復力をみせる。
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7月中旬。
少しずつ話ができるようになる。
…が、意識障害や記憶障害に加え、ほぼ寝たきりの状態。
命は助かったものの、今後の生活に不安がよぎる。
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8月中旬。
心配されていた症状が、少しずつ改善。
食事も普通食を食べられるようになり、
リハビリの効果で、車いすでの移動もできるように!
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そして現在。
意識や過去の記憶がほぼ正常に戻り、会話もできるようになりました。
食事もほとんど自分で摂れるようになり、
まだ自力では起き上がれないものの、回復に向けてリハビリに励む毎日。
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母が入院してからというもの、
本当に怒涛のような日々でした。
理容師をやりながら、家の用事をほとんどこなしていた母の入院で、
私を含め、周囲の状況は一変!!
これまで母が介護していた祖母のこと。
家事などしたことがない父のこと。
母のお店のこと。
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その他もろもろの問題を、叔母たちの助けを借りながら、
なんとかこなしつつ、病院通いの毎日。
ホントに息つく暇もない程多忙でした。
現在もあまり状況は変わらないのですが、
母の容体が安定してきた分、
精神的にはだいぶ楽になったような気がします。
夏休みが終わって、自由に動ける時間も増えたし。
荒れ放題になっていた庭も、少しずつ手入れできるようになりました。
とりあえず、母が退院して実家に戻る日まで、なんとか頑張らねば!!
(私は戻れると信じてます!)
このブログも、時間を見つけて書いていきたいと思います。
できるだけ、忘れないように…(笑)。